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「千玄室さんと古今タルト」

記憶にも新しいつい先日のことです。
茶道裏千家・元家元、千玄室さんがお亡くなりになられました。享年102歳でした。

茶道の心得のある方ならご存知でしょうが、
あの‼️千利休となにか関わりがある❓そう思われた方、実は大きく関わりがありました。


千玄室さんと言えば、茶道裏千家、創始者である千利休から数えて15代目である傍ら、特攻隊員として大隅で過ごされた時期があったのです。


出撃待機命令を受けながらも
終戦によって命を救われたと言う体験をお持ちで、
戦後は、茶道を通じて「武から文」へ世界平和の大切さを語り続け、各地で交流を重ねた人物としても知られています。

実は、その千玄室さんが名付け親になったと言うお菓子が鹿屋にあります。
以前、カゴマガでもご紹介しましたが、
その背景には「海軍タルト」と呼ばれる菓子の存在がありました。

特攻隊員が機上で最後に口にしたと伝えられるこの菓子は、軍の要請によって和菓子職人が作っていたもので、当時は大変貴重で配給制だった砂糖や卵を用いて仕上げられていました。


狭い機内でも食べやすいように片手で持てる細長い形に整えられ、さらに上下をねじるようにして包みを閉じる工夫もされていました。

慰霊祭に参加する遺族から「当時を偲ばせる鹿屋のお土産はないだろうか」という声が上がり、この菓子を復活させました。と同時に全国の遺族、他大勢の人から想像をはるかに上回る問い合わせがあり、関係者一同驚かれたそうです。

きっと、最後にどんな気持ちで手にしたんだろう… どんな気持ちで口に運んだんだろう…
そう、故人を偲びつつも寄り添う気持ちからの反響だったのでしょう。


その折、遺族のお一人が保管していた一枚の写真、搭乗時の様子が写った写真をカラー化したところ、包みが淡い桜色の風呂敷であったこともわかりました。モノクロの時代には知ることのできなかった事実。
桜は海軍の身印、和菓子屋が心を込めて用意したその桜色の風呂敷には、日本の象徴である花のやさしさが宿っており、最期のひとときを過ごす兵士たちを思う作り手の想いが、現代の技術によって浮かび上がったのです。

このカラー写真を前にすると、多くの人の思いが交錯して胸が熱くなります。

しかし「海軍タルト」という名が戦争を連想させてしまうのでは…と、和菓子屋は悩み、裏千家の大宗匠、千玄室さんへ相談の手紙を送りました。その時、千さんが付けて下さった菓子名が「古今タルト」
“過去も今も、そしてこれからも、人々の心をつなぐお菓子であって欲しい“そんな願いが込められています。

戦後80年を迎えた今年、終戦記念日の前日である8月14日、千玄室さんは102歳で人生の幕を下ろされました。終戦記念日前日、、、まるで歴史の節目に歩調を合わせたかのような旅立ちでした。
今ごろ多くの戦友にお逢いできている事でしょう…
そして残された私たちに「平和をつなぐこと」の大切さを改めて問いかけているかのようです。

2024年9月 平和祈念献茶式並びに旧海軍航空隊串良出撃戦没者追悼式にて
左) 裏千家前家元15代 千玄室さん 右) 富久屋6代目 北村祐一さん

いま、この「古今タルト」を作り続けてきた富久屋さんは、作業場の老朽化問題に直面しています。その現状を知った有志の人たちは、歴史を語る菓子店をなんとか守り抜こうと、現在クラウドファンディングを立ち上げました。

クラウドファンディングという現代の手法で、受け継がれてきた菓子を未来へ残したい。今回そんな取り組みを知り、千玄室さんの思いごと次の世代へ繋いでいけるのではと思いました。

この場をお借りして応援したくなりました。

特攻隊ゆかりの老舗を次世代へつなぐ店舗再建プロジェクト

「歴史の証人とも言える菓子店を支えたい」そんな想いが優しく温かく広がっていきますように。

改めまして、千玄室大宗匠様のご冥福をお祈り致します。

投稿者プロフィール

mommy

初めまして桜島の麓で小さなカフェをやっております mommyと申します😊大好きな生ジュースとお芋を焼いて… 皆様のお越しをお待ちしています✨ 大隅在住の私の目線で👀気に留まったことなど 気ままに取り上げさせて頂きます✨ 大隅のことで何か質問等ございましたら、 気軽にお声掛けください🍀

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