鹿児島発ポップカルチャーの現場より(第3回)
 第2回はこちらからご覧下さい。

 コロナ禍以前は様々なイベントで活躍していたご当地アイドル。
 ポップカルチャーに対し競争力の低いと言って良い鹿児島でさえも大小様々な団体から色々なアイドルが誕生していた時期もありました。
 人の集まるイベントが開き辛くなった現在。そのご当地アイドルもかなり淘汰され、まともに活動できているところは少なくなってしまいました。
 そんな中、再び鹿児島のご当地アイドルを立て直す為、新たに新規タレントオーディションを開くべく動き出した方にお話を伺いました。

鹿児島に集客する事を目指したご当地アイドル『S☆UTHERN CROSS』

鹿児島県ご当地アイドル『S☆UTHERN CROSS』
プロデューサー
あべまつ MAX のりゆき さん

ーー『S☆UTHERN CROSS』設立当初の話を教えて下さい
 会社を立ち上げたのが2004年になります。
 当初はその前の勤務先が広告代理店だったので代理店業務を行ってたんですけど、ちょうど2009年10年辺りとかがちょうど九州新幹線が「福岡鹿児島間全線開業するよ」というニュースで持ち切りだったんですね。
 その時に不安視されていたのは「来年開通したら鹿児島にいる子達って新幹線で福岡とか行っちゃって買い物やらレジャーやらで結構打撃を受けるんじゃないかな?」っていう様な声が多かったです。
 私の周りでもそういう話があったので、弊社としては「何かちょっとしたいですよね」っていうのは言ってたんですね。
 その時に世間的にはAKB48というのが流行ってたので、いわゆるトップアイドルじゃなくて身近な子達が「鹿児島来てくださいね」っていうのをやる事によって、逆に福岡とか県外から鹿児島に来るんじゃないかな?っていう話が周囲で持ち上がりました。
 そこで弊社としてもいいツールになるなと思ったものですから、「じゃあちょっと取りまとめます」という事で、2010年の秋冬ぐらいからオーディションというか募集を始めて翌11年の4月1日に結成したのですが、その時の2011年というのが世間的・全国的にも大変な年でした。

自然災害の影響から来る苦境からの出発

 鹿児島でも新燃岳の噴火が2月にあって農業やら観光やらが大変だって言ってた時に色々お助けを全国的にいただいて何とか踏ん張ってたんでしょうけど、3月11日に東日本大震災があって12日が新幹線の開業イベントだったんですけども、それも中止になって…。
 弊社での最終面接が13日だったんです。
 災害の影響で鹿児島に新しいアイドルができるっていう事もメディアに取り上げてもらう機会がなく、そのまま進んでいったというところだったんですね。
 で、世間的にはもう本当に「エンタメとかやっててもなぁ…」ていうような時期だったんですけども、そのまましてても埒があかんなという事で、4月に結成して7月にちょっとプロモーションとしてお披露目ライブをしましょうという事で始めたんですね。
 7月に1回目をやった時には、ご家族の方とか、お友達が結構来ていただいて「良かったね」という事だったのですが、1回見たらいいやじゃないですけど友達・家族・親戚が1回来てもうおしまいみたいなところがありました。
 8月9月とやったんですけどもお客様がどんどん減っていくっていう感じだったので、3回やったの区切りに「ちょっと厳しいよね」っていうので止めたんですね。
 しかし、丁度その時にWe love 天文館さんの暑気払いというのがあった時に、たまたま、その暑気払いの会場で音響とかを担当される方が私とちょっと面識がありまして、その時に「こういう会があるけど、ちょっとそこでステージに立ってみない?」という風に声を掛けていただいて、それで暑気払いに参加していた天文館の関係者の方とかマスコミの方々が「こんな娘が鹿児島にいるなら応援しないといかんね」っていう話になって…。それをきっかけに丁度音響担当していた方が初めて天文館公園で鹿児島ミュージックフェスタっていうのをされる時だったので、一般お披露目がやっとそこでライブができたんですね。
 それがあったもんですから、なんとなく鹿児島の方々に「ご当地アイドルっていうのができたんだ」ということが知れ渡りました。

 その年の年末には全国のご当地アイドルナンバーワンを決める大会があったんですけども、そこで九州代表で初めて出場して東京の全国大会に行きました。
 世間的にはもう全国的にご当地アイドルはもう立ち上がっている時期だったので、弊社としては鹿児島から乗り込んだというのはすごく有意義だったんですけど、やはり鹿児島の方で全然知られていないなという感じで、ファンがたぶん鹿児島からは1人か2人しか来てくれなかったんです。だけど会場はやっぱり『審査対象はファンからどれだけ応援してもらっているか?』というのが基準になってくるんで、他県のご当地アイドルと比べ、全然敵わないといった感じでした。
 それもあり、翌年からは何とか知名度をアップしようという戦略に舵を切りましたね。
 ちょうど年明け1月に県の観光連盟さん主催の新年ご例会という観光業の方々と名刺交換の会があったんですよ。ここでのアトラクション出演が決まったものですから、そこでいわゆる行政の方々、観光業の方々に知っていただけたということがあったので、そこからある程度夏祭りだったり企業のイベントだったりに参加させていただいてなんとなく軌道に乗りそうだなというところではありました。

ご当地アイドルとしての知名度を上げる為に手弁当で全国鹿児島県PR行脚

 ただ、やっぱり当時の鹿児島はサザンクロスしかアイドルグループいなかったですし、弊社のようにプロダクションとしてしっかりとギャランティーをいただくような仕事をしないといけないというのがありまして、鹿児島でやっていくにはもうちょっと知名度を上げないといけないしファンも増やさんと行かんなという事で県外への遠征を入れていく様にしたんですね。
 それと合わせて『鹿児島をPRしよう』という事で立ち上がったアイドルだったので、自分たちの手弁当で各県に車で乗り込んでいきました。
 例えば県とか観光連盟さんからパンフレットとかチラシとか、当時の鹿児島PRタイトルである『本物鹿児島』と書かれたのぼりとかポスターを借りて、私の軽自動車に乗ってほぼ行けるところは全てまわったのではないでしょうか。
 2年3年ぐらい掛けて日本一周をして各駅の近くに立って、「鹿児島から来たアイドルグループです。今鹿児島ではこういうお祭があり、旬の農畜産物を美味しくいただけますよ。」とブースを出す様なPR方法を取りながら、別途ライブ活動も九州のアイドルグループさんとか東京のアイドルさんとかとの共演も行っていたので、そこら辺からだいぶ軌道に乗ってきたかなっていう実感がありました。
 あともう一つの追い風が『あまちゃん』が朝ドラで始まったので、それで全国的にご当地アイドルという名前が広まったというところであったと思います。
 それから、2012年から13・14とずっと無難にというか、順調にいってはいたんですけど、やっぱりブームというのはいつか落ちてくるわけで…。
 だいたい2015年16年ぐらいかな?そこら辺をピークに鹿児島でも他の県内ご当地アイドルさんがいろいろ立ち上がってきましたね…。

ーーその後鹿児島アイドル戦国時代を経て現在のコロナ禍へ続き、今回の新規アイドルオーディションの話に続きます。
 後編(鹿児島の魅力を中央で発揮するアイドルを作りたい!! /新規タレントオーディション告知あり)につづく(2022年6月7日掲載予定)

[S☆UTHERN CROSS ホームページ]
 http://www.southerncross.asia/

投稿者プロフィール

清永秀樹
清永秀樹
クリエイティブパフォーマンスBAN/代表
さつま忍者研究会/代表
H26~H29 KADOKAWA Walker plus 鹿児島県地域編集長(最終役職)