「このクラスに障害のある人はいますか?」
以前、中学校で講演をしたときに私が投げかけた質問です。教室から返ってきたのは、「いません」という声。そして、続けて尋ねた「なぜいないと思いますか?」という問いに、一人の生徒がこう答えました。
「施設に入っているからだと思います」
その一言は、今も私の中に残っています。責めたいのではありません。
むしろ、その子は社会の空気を正直に言語化しただけなのだと思います。
障害のある人は地域では見かけない存在。だからきっと、どこか別の場所で暮らしているのだろう。
それが、多くの人にとって“自然な想像”になっている現実があります。
私は重度の障害があり、24時間介助を受けながら鹿児島で暮らしています。親元を離れ、施設ではなく地域で生活するという選択をしました。それは特別な挑戦をしているつもりではありません。
ただ、「自分で決め、自分で選び、その結果に責任を持つ生活」をしたいと思ったからです。
けれど、障害があるというだけで、人生の選択肢は驚くほど早い段階で狭められてしまいます。
進学先、住む場所、働き方、人との関わり方。周囲は悪気なく「こちらの方が安心だよ」と勧めてくれます。
でも、その“安心”の裏側で、本人の意思が置き去りにされていくことも少なくありません。
地域で生きるとは、何かを証明することではありません。
特別に頑張ることでもありません。
朝起きて、今日は何をするかを自分で決める。
食べたいものを選ぶ。
会いたい人に会う。
時には失敗し、やり直す。
そうした当たり前の積み重ねを、自分の人生として引き受けていくことです。
もし社会が本当に「命の重さは同じだ」と認識しているのなら、障害の有無によって暮らし方が最初から決められてしまうことはないはずです。生まれ育った地域で学び、働き、必要な支援を使いながら暮らす。
それは特別な権利ではなく、誰にとっても保障されるべき土台です。
私はこれまで、「なぜ地域で暮らすのか」を何度も説明してきました。
理解を広げなければ、この暮らしはいつでも揺らいでしまうという感覚があるからです。
制度はあっても、意識が追いつかなければ現実は変わらない。だからこそ、声を上げ続ける必要があります。
「障害があると地域で生きていくのは難しい」
そう言われる社会を前提にするのではなく、
「どうすれば地域で生きられるか」を考える社会へ。
鹿児島のまちの中で、車椅子に乗った私が当たり前に暮らしている姿そのものが、一つのメッセージになればと思っています。教室であの質問をしたとき、いつか「いますよ」と自然に返ってくる日が来てほしい。
そのとき初めて、地域で生きることが本当に当たり前になったと言えるのかもしれません。
地域で共に生きる。
それは理想ではなく、今この場所で選び取れる現実です。
写真は以前家族でグランピングした際の写真(大切な人と好きな場所で)


