1 広場の文化

人類が誕生して一説では200万年以上の歳月が経ったと言われていますが、どの時期の人類社会においても共通するものがありました。それは、「囲みの文化」です。言い変えれば、広場であり、焚き火や囲炉裏などを囲んで人々がコミュニケーションを図る空間の存在です。

縄文時代の集落は、広場を囲むように竪穴式住居が配置されているケースが多いようです。これは、次のような事が考えられます。

① ムラ全体のコミュニケーションの場となる
② 広場に火を焚くことで猛獣からムラを守る
③ それぞれの住居を最短の距離で結ぶことができる
④ 儀式や祀りなどが行える
⑤ 広場を中心とした機能的なムラ構造となる

また、広場の文化は、洋の東西や時代に関係なく存在しています。特に、中世のヨーロッパは広場(教会)を中心とした街づくりが盛んに行なわれました。現在でも広場を中心に発達した都市が多く残っています。

2 日本の広場の文化

 一方、日本では広場の概念はなく、広場の替わりに「道」がその役目を果たしてきたように思われます。これは、古代国家の中心地であった藤原京や平城京、平安京などは、古代中国の紫禁城などの都市づくりが大きく影響したため、その後の日本に広場より道路にその機能を持たせたようです。

 道路といえば、現代では自動車が通るところというイメージが強いですが、本来は人々が行き来する場所であり、コミュニケーションの場所でもありました。

司馬遼太郎著書の『功名が辻』は、土佐藩主となった山内一(やまうちかず)(とよ)と妻の千代(ちよ)が夫婦協力して出世する物語です。タイトル名となっているように、功名は戦場にあるのだけでなく、町の辻にも功名がある。つまり、道端での人々の世間話の中に、世の中の(ことわり)や先見の明、すなわち出世へのヒントがある、ということが描かれています。

 また「井戸端会議」という言葉があるように、江戸時代の長屋では共同井戸や町の中の広場(火事除け)のような場所がコミュニケーションの場となりました。

3 「町」の意味

日本には、道路がコミュニケーションの場であるという文字があります。「町」という文字です。町の意味は、辞典で調べてみますと「市や区などの中の小さな区画とか人家が多く立ち並ぶ地域」と書かれています。

町は、漢字の中に「田」の文字が入っていることから、水田を区切っている地域と考えられがちですが、「田」は水田のことではなく、十字に交差している道路を囲んだ地域(エリア)という意味で、道路をコミュニケーションの場であることを表しているのです。現在の住居表示は道路を境にして分けていますが、昔は道路の対面は同じ町内となっていました。

4 囲炉裏の効果

 家族間のコミュニケーションの形態も、「囲みの文化」が備わっていました。

縄文時代や弥生時代の竪穴式住居を見てみますと、住居の中心部に炉があって、人々は炉を囲むように生活を営んでいました。

この炉を囲む形態は、日本の伝統住宅の中にも「囲炉裏(いろり)」という形で最近まで続いてきました。囲炉裏は、①暖をとる、②照明とする、③料理をする、④煙が虫を駆除する、⑤湿度の高い日本において煙が藁葺き屋根などを長持ちさせる、といった利点がありますが、最大の効果は、家族が囲炉裏を囲んで毎日コミュニケーションがとれ、家族の団欒(だんらん)が図れる、ではないでしょうか。

後年、囲炉裏の代わりに登場してきたコタツにも同様の効果があると思われます。

 国民的アニメとなっている「サザエさん」の中では、毎回のように家族がコタツを囲んで会話をする場面が登場しますが、このコタツを囲むことが家族団欒の秘訣であり、家族のちょっとした変化も見逃さない、場なのではないでしょうか。

 五 囲みの文化

 このように、私たちは「囲みの文化」を保ちながら、社会や家族間でコミュニケーションを図ってきました。

しかし、今の日本の現状を見てみますと、語らいの場であった道路は車に取って代わり、住宅も個室を重点におき家族が集う空間が少なくなってきました。(最近はリビングを中心とした家つくりが流行っています。)

 このままでは、これまで日本人が囲みの文化を通して育んできた助け合いの心「(ゆい)の精神」が薄れ、家族の結びつきも希薄になってくるように思われます。

 「囲みの文化」の原点は、人々のコミュニケーションの場(空間)であり、その行動であります。空間が少なくなってきているのであれば、その分だけ行動を増やせばいいわけです。まずは、今あなたの隣にいる人とのコミュニケーションから始めませんか?「おはよう! こんにちは!」という言葉から。

   文責:鈴木  写真・イラスト:無料サイトより

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霧島市に在住しています。
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