沖永良部島の空港の愛称をご存じだろうか?その名も「えらぶゆりの島空港」である。奄美群島や沖縄の島々ではいわゆる野に咲くゆりの花がよく見かけられる。ゴールデンウィークの頃が見頃の花で海岸線や山の斜面などあちらこちらでチラホラと見ることができる。しかし、沖永良部島ではこの時期に和泊町にある「笠石海浜公園」で約4万球の球根が植えられた「笠石ゆり園」が12万輪ものえらぶゆりで彩られその香りで一帯が爽やかで優雅な香りに包まれる。観光客や家族連れが記念写真を撮る姿があちらこちらで見受けられ、表情は皆、笑顔で溢れ穏やかだ。

130年も続くえらぶゆりの歴史
その昔、一隻の船が沖永良部島の沖で転覆し乗客であったイギリス人が浜に打ち上げられた。その名はアイザック・バンディング。浜で横たわる異国の民を島民は助け献身的に回復のための術を尽くした。アイザックはイギリスで花の商人をしていた男であった。浜に咲く「鉄砲ゆり」を目にした彼はその美しさに心を打たれたという。彼が島を去るときに彼は島民に言った。「3年後このゆりの球根を畑で栽培し増やしておいてください。必ずや私が買い付けに来ますので!」この言葉を信じ島民たちは実直にゆりの球根栽培を始めました。そして3年後アイザックは約束通り島を訪れゆりの球根が輸出されひとつの産業が始まりました。「erabulily・えらぶゆり」の誕生です。(※諸説あり)
その後、島の勤勉な島民性もあり高品質な球根に成長した「えらぶゆり」の球根は島の主要産業となり世界各国へ流通していくことになります。しかし、戦争や自然災害などいくつもの苦難を乗り越えて未だなお島のシンボルフラワーとして島民の心の中に「えらぶゆり」は存在します。

次世代へ引き継ぎシンボルを残したい
日本の農業全体で言えることですが、後継者不足が全国で囁かれています。農業は機械化が進み大規模経営に舵を切り機械やハウス設備がない中で新規就農や担い手を作ることがなかなかうまくいっていません。そんな中10年以上続けられているのが「笠石ゆり園」で行われている町民による掘り取り、植え付けを行いゴールデンウィークには観光客を楽しませるコンテンツのひとつを作り出す取り組みだ。これらの作業は和泊町の企画課が先頭に立ち町内の各種団体に声をかけ指定した日時に集まり、掘り取りや植え付けをおこなっています。担当の安田拓さんは「業者に発注して農園管理をすることもできる。しかし多くの町民に農園の管理に携わってもらい球根を栽培することの素晴らしさをぜひみんなに知ってほしい」と話す。今年も掘り取りが先週行われ16団体250名を超える参加者が「笠石ゆり園」に集まった。ゆり堀を初めて行う子どもたちもいて炎天下の中「暑い!」「こんなにたくさん拾うの?」と戸惑いの声も上がったが作業が終了する頃には「11月の植え付けにも是非参加したい」や「来年花が咲くのが楽しみだ!」など達成感を感じる話し声も聞こえてきた。生まれ故郷に愛着を持ち、産業を担える人材育成や教育こそ今変化の真っ只中にある世界で必要なことな気がする。経済成長と地球環境が乖離してきた今この問題を乗り越えるのはテクノロジーではなく、子どもたちの「心の豊さ」と「地域を愛する心」でしかないのかもしれない。


