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薩摩義士の遺徳を訪ねて~海津市編~

下豊留です。
前回、宝暦治水についてと三重県桑名市にある薩摩義士のゆかりの地を訪れたご紹介をしました。

是非こちらから先にご覧ください。

今回は、岐阜県海津市のご紹介です。
多度で寝泊まりしていた薩摩義士の方たちの気持ちを味わうべく、海津までは歩いていくことにしました。
常音寺から木曽三川を一望することができる「水と緑の館・展望タワー」を目指します。
写真の右奥に見える水色の塔が展望タワーです。

けっこう遠いなと思いながら歩き出しました。

東福永橋を渡ります。

ビックリするくらい風が強かったです。
川で工事をするのは大変だったろうなと思いながら歩きます。
歩くだけでもきついのに、歩いて行って着いた先で工事にあたっていたのかと思うと、どれだけ体力と気力のいる事業だったかが身に染みました。
橋の途中に県境がありました。

途中で休憩を入れつつ、タワーへは1時間ほどで到着しました。

早速上ってみると…

でかい!写真だとよく伝わらないのですが、本当に大きな川です。
思っていた以上に広く、洪水がおきたら大変なことになるだろうなと改めて実感しました。
鹿児島の先輩たちはすごい!!
多度大社の鳥居も見えました。上から眺めると距離感がよく分かります。

そして、タワーの近くにある治水神社へ行きました。
岐阜の地で島津家の家紋と、平田家の家紋を見ると、グッときました。

境内には、薩摩義士たちの像や、隼人橋がありました。薩摩隼人からとったのでしょうか。

「治水神社」の字は東郷平八郎が書いたものでした。

次は、どうしても見に行きたかった「宝暦治水碑」へ行きます。
「宝暦治水碑」は、明治33(1900)年に建立されたものです。
西田家が碑の建立に尽力し、4月22日には除幕式が行われ、川村純義が祝辞、他にも西郷従道内務大臣、松方正義大蔵大臣、山県有朋総理大臣、徳川義礼、三重・岐阜・愛知知事などが出席しています。

それでは、千本松原を歩いていきます。

千本松原とは、薩摩藩士が治水工事の完成後に植えたと伝わる松並木です。
近年植えられたものもあり、ずっと手入れをされて守られてきたのだなと思いながら歩きました。

暴風を受けながら20~30分くらい歩くと、松並木の端に石碑が建立されていました。
途中歩き疲れが出てきていたので、目に入った時は嬉しかったです。

この碑を見に、鹿児島の偉人たちもやって来たのかと考えると、私も同じ場所に立つことができて感無量でした。

明治時代には、オランダ人のヨハネスが工事をおこなっています。
平田靱負とヨハネスが「木曽三川治水の先駆者」として碑になっていました。

最後は、平田靱負の終焉の地(大巻薩摩工事役館跡)へ向かうべく、「水と緑の館・展望タワー」の方へ戻ります。
そして、木曽三川公園バス停からバスに乗り、海津市役所まで行きました。

グーグルマップを見ると、海津市役所の近くにタクシー会社があったので、そこからタクシーに乗ろうと思っていたのですが、バスの運転手さんが「もうタクシー会社は無いよ」と教えてくださり、変わりにバスに乗り換えるよう提案してくださいました。

乗り換えたバスの運転手さんは、海津市と霧島市の交流事業で霧島市に行ったことがあるそうで「最寄りの停留所が来たら教えてあげるよ!」ととても親切にしてくださいました。
(海津市と霧島市は宝暦治水の縁で姉妹都市です)
教えてもらえなければたどりつかなかったので、本当に感謝です!!

今尾橋近くでバスを降り、そこから歩いて向かいました。
途中日が暮れだしたので、真っ暗になったらどうしようと焦りながら気持ち速足で歩きました。

到着!

30~40分くらいかかったと思います。

駐車場に、桜島のレリーフがありました。桜島が目に入った瞬間、足の疲れも吹っ飛びました。

こちらが終焉の地です。

立派な銅像や供養堂が建っていました。

石碑の題字は、治水神社と同じく東郷平八郎でした。

帰りは、ありがたいことに近くにバス停があったので、バスで大垣駅まで行き無事に旅を終えることができました。

最後に!
治水神社で購入した、瓦せんべいが美味しかったです!

海津市は、鹿児島の方にぜひ1度行っていただきたい場所だなと思いました。

投稿者プロフィール

下豊留 佳奈

オフィスいろは 下豊留佳奈(しもとよどめ かな) 鹿児島生まれの鹿児島育ち。 地元が元気になればと思いあれこれ活動しています。 共著に『鹿児島偉人カルタ55』(燦燦舎) 2021かごしまの新特産品コンクールで鹿児島県観光連盟会長賞を受賞しました。 第一工科大学非常勤講師 昔話と歩くことが好きです。

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