下豊留です。
2月末に岐阜県大垣市にある岐阜協立大学で講演をする機会をいただきました。
せっかく岐阜に行くのだからと思い、宝暦治水のゆかりの地を巡ってきました。
宝暦3(1753)年、薩摩藩は幕府より洪水が絶えない木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川の治水工事の普請を命じられ、家老の平田靱負が総奉行となり約1000人を率いて難工事にあたります。
わずか1年半と短期間で治水工事を成功させることはできたのですが、工事費用は全額薩摩藩が負担しなければならなかったために多額の借金をし、犠牲者も出してしまいます。
ついに、責任を感じた平田靱負自決されたといわれています。
後に、生活を助けられた方たちが治水工事にあたった薩摩藩士を「薩摩義士」と称え、その縁で鹿児島県と岐阜県は姉妹県盟約を結び現在も交流が続いています。
私も大学生の時に岐阜の方たちを鹿児島で受け入れたのですが、岐阜の方が「祖父母が鹿児島に足を向けて寝てはいけないと言っていました」と話され、ビックリしたことを覚えています。
鹿児島市でも、平田靱負の屋敷跡が平田公園として整備されていたり、薩摩義士を顕彰する碑が建てられたりしています。


まずは、鹿児島空港から中部国際空港へ、そして名古屋駅に向かいます。

名古屋駅から近鉄に乗り、三重県の桑名を目指しました。
なぜ桑名かというと、難工事に挑み命を落とした薩摩義士たちの墓所が海蔵寺というお寺にあるからです。
名古屋駅から30分ほど桑名駅に到着しました。

桑名駅から海蔵寺までは歩いて10分ほどで行けます。

桑名市の文化財にも指定されている薩摩義士墓所には、24基のお墓がありました。

180年祭の時に奉納された灯籠があり、ずっとこの地で桑名の方たちが薩摩義士の顕彰をしてくださっていたのだと思うと胸が熱くなりました。


海蔵寺には平田靱負の木像があります。
ずっと見てみたいと思っていたので嬉しかったです。

再び桑名駅へ戻り、今度は養老線に乗って多度駅に行きます。
発車までしばらく時間があったので、安永餅を購入するために駅横にある「安永餅本舗 柏屋」へ行きました。

細長い餅の中に餡が入っているのですが、これがすごく美味しいのです!
もっとたくさん買っておけばよかったなと後悔しました。


江戸時代からあるお菓子ということで、参勤交代や、お伊勢参りで桑名に来た方たちも食べていたのかなと思うとさらに美味しく感じます。
養老線はのんびりとした空気のローカル線で、景色もよく乗っているだけでワクワクしました。

多度へは約15分で到着。

揖斐川の横に位置する多度の地には、かつて西田喜兵衛という人物がいました。
彼は治水工事に奔走する薩摩義士たちに自らの住居を貸し出し、献身的に面倒を見たといいます。
薩摩の方々の恩義を決して忘れてはならないと子孫に伝え、子孫も薩摩義士の顕彰活動をしてくださいました。
薩摩義士がいた多度に訪れてみたかったのです。
桑名市の文化財に指定されている宝暦治水史跡を見るため、多度駅から常音寺を目指します。

多度駅から常音寺までは少し距離があるのですが、徒歩で向かいました。
20分ほど歩きましたが、古い建物や神社などが多くあり、歩くだけでも楽しかったです。
常音寺では、住職さんに「薩摩義士之墓」やお寺の中を案内していただきました。

墓の題字は、30代当主島津忠重氏によるものでした。

桑名市でもこんなに大切にされているのかと感動しました。
小学校の授業では、宝暦治水は岐阜県のことしか習わなかったのですが、桑名市のことも伝えるべきだなと感じました。
次回は岐阜県海津市へ!
薩摩義士の方たちの気持ちを味わうべく、海津まで歩きます!
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