加計呂麻島のほぼ中央に位置する呑之浦集落のすぐ側に、震洋隊基地跡と島尾敏雄文学碑公園があります。

震洋とは、第二次世界大戦中に開発され実戦投入された特攻兵器の1つで、小型ボートで敵艦に体当たり特攻を行う「自殺艇」などと呼ばれたものです。
加計呂麻島には、この呑之浦地区に第18震洋隊、三浦地区に第17震洋隊の2部隊が配備されていたそうです。


昭和19年11月、第18震洋隊183名の隊員と共に、加計呂麻島の呑之浦に隊長として着任したのが島尾敏雄さんで、出撃命令を待つ極限ともいえる体験が、後の島尾文学の基となったと言われています。

島尾敏雄の代表作には『死の棘』(日本文学大賞・読売文学賞・芸術選奨)、『魚雷艇学生』(野間文芸賞・川端康成文学賞)など数多くの作品があり、その業績をたたえ、1988年に、このゆかりの地に「島尾敏雄文学碑」が建立されました。


加計呂麻島の呑之浦。静かな入り江の両岸に合計12カ所の、震洋を格納する壕が残されており、加計呂麻島に数多く残されている貴重な戦跡の1つです。静かにたたずむ島尾敏雄文学碑と共に、加計呂麻島で多くの人が訪れる場所となっています。

11月も中旬に入り、朝晩はやや涼しくなってきましたが、日中はまだまだ暖かく、サキシマフヨウの花が綺麗に咲いています。


加計呂麻バスは、今日も人を乗せ、物を運び世界一の島を走っています。

