さつま忍者研究会代表の清永です。
私は2012年頃から鹿児島県霧島市国分に伝わる『青葉の笛』の復刻・広報のお手伝いをしています。
復刻の為に職人さんを引き合わせたり、ブログ記事を書いたりしてきたのですが、最近になってGoogle検索がAI処理をされる様になった事で、「青葉の笛は弘法大師が唐から帰国した時に嵯峨天皇へ献上した物」という説が上位に来る様になってしまいました。
これではいけないという事で、7年ぶりに青葉の笛竹(台明竹)を管理していた日枝神社(旧台明寺)の宮司である鶴丸和巳さんへ現在の活動状況等を伺ってきました。

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霧島市国分に伝わる『青葉の笛』の物語とは?
霧島市国分にはこんな話が伝わっています。
第38代天皇であらせられる天智天皇がまだ皇太子の時代。九州に滞在されていた時の事。訪れた今の霧島市国分にて青葉の竹(台明竹)から笛を作ったところ、非常に良い笛ができた為、台明寺で竹を管理して京へ送らせていました。
送られた竹は京で笛に製作された後、天皇からの贈り物として貴族へ伝わり、笛のブランドとして流通、笛の一時代を作りました。
笛の歴史としては、青葉の笛→竜笛(雅楽で使う笛の一種)→篠笛の流れになります。
参考記事:霧島市HP検索結果
この笛が平家物語で出てくる敦盛の笛につながったり、織田信長が追い求めた竹生島の青葉の笛につながるのですが、須磨寺に伝わる敦盛の笛がなぜ第52代天皇への献上品という話になったのかは調べる必要があると考えています。
竹文化復刻の難しさ
例えば同じ笛つながりで薩摩には江戸時代から始まったと言われる『天吹』という縦笛があるのですが、竹であればどれでも良いというわけではなく、古参竹(コサンダケ・布袋竹)という品種の竹を使います。
それを笛にするまでに育てる場所の確保や収穫時期・収穫した竹を乾燥させる期間など、製品にするまでに多くの工程が必要になってきます。
幸い鹿児島においては武士文化の強いところなので、天吹や古武道の練習に使われるイスノキ(イスの木)はまだ育てたり、加工したりする人はそれなりにいらっしゃいますが、青葉の笛に関しては島津家が薩摩入りする前の時代の為、タケノコを取る為に台明竹を育てるところはあっても、笛の素材として加工する方がほぼいなくなってしまった現状にあります。
AI判定による文化消失の危険性

更に文化継承に私が危機感を感じているのが、最近のAI判定によるGoogle検索結果の表示です。
2025年10月現在、青葉の笛に説明に関しては、『弘法大師が唐から持ち帰って嵯峨天皇に献上した笛』という紹介になっており、鹿児島の説に関しては”地方に残る説”という事で鹿児島を検索ワードに入れないと結果に出てきづらいという状況です。
鹿児島の青葉の笛に関しては、台明寺にあった946年に鋳造された鐘に青葉の笛に関する文が刻み込まれていた事から日本史における重要文化財だと思うのですが、著名な歴史学者による解説文が無い事からこの様な状況になっている様です。
長年フリーライターや旅行業に携わる者から見て、話が検索結果上位に出てこない状況は鹿児島の観光資源の喪失につながるのではないかと考えています。
取材後記
添乗員の仕事を通じて大手ツアーの行程を見るに、鹿児島の歴史や文化はもっと伸びしろがある様に感じています。
しかしこの分野は無意識なのか意図的なのかは判りませんが、県内では結構適当に扱われている様に思えます。
確かに鹿児島は食の分野だけでも世界に通じるぐらいのコンテンツ力のある場所ですが、それに加えて歴史文化の魅力発信ついては、他県とは一線を画するものを築いてきた『鹿児島』というコンテンツを高く売る原動力になってくるはずです。
一般の方もですが、特にメディアやイベントを制作される方々は、もう少し全国を見据えた物作り・企画作りをされた方が今後の鹿児島につながるのではないでしょうか?
鎮座地:鹿児島県霧島市国分台明寺1103
鹿児島県神社庁HPより:https://www.kagojinjacho.or.jp/shrine-search/area-airaisa/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E5%B8%82/1089/

