奄美地方には漢字一文字の名字が多いのをご存じでしょうか。
奄美地方の各市町村で一文字姓が占める割合はおよそ10~20%にもなります。
今回は一文字の名字が多くなった背景を深堀りします。
名字のなりたち

そもそも名字はどうやって生まれたのでしょう。
かつて江戸時代までは公家や武士など一部の支配階級の者だけが名字を名乗っており、それが権威でもありました。
平民に名字は無かったのです。
明治時代に入り、1875年の「平民苗字必称義務令」によりすべての国民に名字を名乗ることが義務付けられました。
これは四民平等の理念に基づく従来の圧制の排除であったり、戸籍制度の整備のためでもありました。
江戸時代までに名字を得ていた人の割合はかなり低かったので、ほとんどの人が名字を新たに設定することに。
名字は地名や方位、職業などを由来にしていることが多いです。
奄美では一文字姓が多いのは薩摩藩によるものだった

1609年に琉球国(今の沖縄県)は薩摩藩の侵攻を受け実質的に支配下に置かれました。
当時奄美は琉球国統治下に置かれていたので同様の扱いを受けています。
この際に薩摩藩は実際には琉球国を支配下に置いているものの表向きは琉球国として独立させ続けました。
理由としては当時の琉球国は清国(現在の中国)との朝貢貿易が行われており、清国との対立関係を回避するとともに、朝貢貿易の恩恵を受けるためだったとされています。
さらに1624年には薩摩藩と琉球国の関係を隠すために琉球国に日本風な名字を禁止する事を打ち出しました。
つまり薩摩藩で使用している名字とは違う物になるよう姓を変更させたのです。

例えば前田→真栄田、下田→志茂田といった具合です。
また、琉球国内の官僚達はこういった名字の他に中国でも通用する「唐名(からな)」と呼ばれる「毛」「向」といった一文字姓を持ち、清国への公文書などに使用していました。
しばらくして奄美でも日本風の名字の禁止が薩摩藩から通達され、二文字姓は一文字姓に改姓となりました。
琉球のように三文字姓にならなかった理由が明記された資料は見当たらないのですが、朝貢貿易の都合上、合理的に一文字姓になったのではという説があります。
1875年の「平民苗字必称義務令」にて奄美でも全ての人が名字を持つ事になり、今まで馴染みのある一文字姓を選んだ人がそれなりにいたため現代でも一文字姓が多く見られるのです。
奄美の名字

それでは現在の奄美地方の名字を見てみましょう。
奄美地方で多い姓は「栄」「川畑」「山田」「前田」「森」などです。
特に「栄(さかえ)」は全国的にも奄美地方に集中した名字です。
他に独特な一文字の姓としては「中(あたり)」「勇(いさみ)」「祷(いのり)」「屋(おく)」「加(くわえ)」「里(さと)」「保(たもつ)」「元(はじめ)」「恵(めぐみ)」など。
これはほんの一例。

奄美で暮らすと一文字姓の多さを実感する日々です。
名字の種類も多く、奄美に暮らしてそこそこ経つのに新しい名字に遭遇しては新鮮さと驚きが尽きません。
奄美に来たら、日本の中でもちょっと割合の多い一文字姓にもぜひ注目してみて下さいね。
【参考文献】
松山哲則.奄美群島の名字・今昔.大阪,オリンピア印刷株式会社,2020,113p
森岡浩.あなたの知らない九州・沖縄地方の名字の秘密.東京,株式会社洋泉社,2014,270p
「奄美学」刊行委員会.奄美学その地平と彼方.鹿児島,株式会社南方新社,2005,631p
